東海大学陸上競技場:青タータンがキレイですね
東海大学陸上競技部中長距離ブロックについての質問を多数いただくようになりました。
箱根駅伝優勝したことにより注目度が一気に上がっていることを感じます。お陰様で当ブログへのアクセスう数も〇倍増えています。
そんなこともあり私が東海大学陸上競技部中長距離ブロック(駅伝チーム)に入学してからのこと(東海大学陸上競技部箱根駅伝への道)を記述したいと思います。
目的は下記3点です。
- 東海大学陸上競技部中長距離ブロック(駅伝チーム)の雰囲気などをファンの方にお伝えしたい
- いただいたご質問にお答えしたい
- 私自身の回顧録として残したい
注意事項としては下記2点あります。
- 全て私が入学した1994年4月~の事であり、現在とは違うこともあると思います
- 全て私個人の見解・感想であり東海大学陸上競技部中長距離ブロックとしての見解ではありません
学年チーフとは?
東海大学では学年毎にチーフと副チーフがいました。
順調にいけば4年生時に学年チーフがキャプテンに、副チーフが副キャプテンになります。
順調にいけば・・・というのは個人の名誉もあるので明らかにはしませんが私が在籍した1994年からの4年間の中でチーフが交代になった学年がありました。
このケースはその学年自体があまりチームワークが良くなく、オーバーにいえばいろいろな派閥があり派閥闘争勃発という印象です。
ちなみにチーフを交代させられた選手は在籍4年間で箱根駅伝を2回走り、代わりにチーフを務めた選手は箱根駅伝を走ることはできませんでした。
学年チーフの決まり方
学年チーフ・副チーフはどのように決まるのか? ですが1年生全員が集められ1学年上のチーフから発表されました。
しかし誰が決めたのかははっきりとわかりません。
逆に私が2年生時に1年生のチーフ・副チーフは学年ミーティングなど開催するわけでもなく決定していました。
一体誰が決定したのか? 1994年入学の同期数名に聞いてみましたが誰もわからないとのことでした。
そう考えるとかなりの確率で監督の意向・もしくは4年生の意向だったのかなと思います。
私が入学した時の4年生世代・3年生世代・2年生世代・私の学年、また私が在籍中の1学年後輩世代・2学年後輩世代・3学年後輩世代とチーフ・副チーフの顔ぶれを思い返してみたところ、その学年の入学時競技力TOPとは言わなくても競技力上位の選手がチーフ・副チーフを務めているように思います。
ちなみに私の世代は入学時競技力NO1の選手がチーフ・競技力NO2の選手が副チーフを務め2人とも箱根駅伝出場を果たしました。
学年チーフ・副チーフの役割
具体的な学年チーフ・副チーフの役割ですが
- イベント・式典の際に学年代表として挨拶をする(チーフ)
- 学年の代表として後輩たちに指導・話をする(チーフ)
- 学年ミーティング時に司会を務める(チーフ)
- 学年ミーティング時に書記を務める(副チーフ)
- 練習時に率先して引っ張る(チーフ・副チーフ)
私の学年の副チーフを務めた関厚志君(報徳学園→ダイエー→日清食品)に副チーフの役割を確認しましたが・・・あまり具体的な役割はなかったようです(笑)。
まぁあくまでも副チーフはサブ的存在だからねとフォローしておきました。
1997年第73回大会で9区を走る関厚志選手
駅伝チームにおけるキャプテンの存在
そもそもキャプテンという存在が陸上競技においてはどの程度重要なのかなと思います。
高校生におけるキャプテンの存在は大きいと思いますが、成人になる大学生におけるキャプテンの重要性はそれほど大きくないと思います。
また野球やサッカーやバスケットボールといった球技や団体競技におけるキャプテンの重要性は感じますが、個人競技である陸上競技でのキャプテンの重要性はあまり感じません。
駅伝は団体競技ですが、複数人数で同時にプレイするわけではなく個人競技の積み上げですからね。
またキャプテンという存在よりもエースという存在の方が大きいかなと感じます。